デザイナーだった僕が、40歳でLITALICOワークスのサビ管になった理由。
サービス管理責任者にインタビュー
高校卒業後、20代は演劇、音楽、デザイン、イラストなど様々な芸術系の活動に従事。その後31歳ではじめて知的障害者の支援をおこなう福祉の仕事に就職。
その後社会福祉士を取得し、サービス管理責任者として就労移行支援事業所で勤務したのち、2016年1月に40歳でLITALICOへ転職。
錦糸町、日暮里センターの2拠点の新規立ち上げを経験。現在はLITALICOワークス日暮里センターのサービス管理責任者として勤務。
俳優、音楽、デザイナーなど クリエイティブな20代。
働くことに障害のある方向けの就労支援事業をおこなう「LITALICOワークス」では現在、全国のセンターにおいてサービス管理責任者の採用を積極的におこなっています。今回は、サービス管理責任者として都内で勤務する渡辺に話を聞きました。
ー20代のころはどんなお仕事をされていたのでしょうか?
高校卒業後、大学進学の選択肢はあまり考えていなくて。自分の好きなことをやりたいな、という気持ちが強かったです。当時映画が大好きだったので、映画に関する仕事がしたいという思いから俳優養成所に通いました。その後は劇団に所属したり、ライブハウスでの音楽活動をしていた時期もあります。当時から大人数で何かを作り上げる協働作業がとにかく好きだったんだと思いますね。
芸能活動の中では宣伝用のチラシを作るのですが、僕はそのデザインやイラストを考えるのが好きで自ら手掛けていました。そこから転じて、当時付き合っていた今の妻からの薦めもあり、イラストやデザインを本格的に勉強するため、夜間のデザイン専門学校に通うことになったんです。
専門学校卒業後、30歳にしてはじめて正社員でデザインの仕事に就きましたが、始発終電の業務が続く毎日で身体が持たないな…となってしまって。飲料などのパッケージデザインに主に携わっていたのですが、相当な時間と労力をかけても、役目が終わると捨てられてしまうものに寂しさを感じ、もっと社会全体と繋がれる仕事に就きたいと思うようになったんです。
渡辺さんのデザインした作品
ー転職先として福祉の道を選んだのはどんな経緯でしたか?
妻が臨床心理士で、就学相談の仕事をしていて、そのつながりで知的障害者向けの作業所などを運営するNPO法人とご縁があり、入社に至りました。当時のNPOでは、工賃支払いのためにお店や団地の清掃活動に一緒に参加したり、スーパーで材料を購入して僕がお昼ご飯を調理したりと、「支援員」というよりは、利用者さんとは「職場の仲間」という関係で働いていました。人手もお金もなく、すべてゼロから企画・推進していましたね。
ほぼ何も決まっていない状態から、様々な関係者を巻き込んで知的障害者の方がはたらける飲食店を開業する、という大仕事もありました。非常に大変ではありましたが、地域とのネットワークをいちから作っていく楽しさ、常識を覆して新しいことにチャレンジする楽しさをこの時に身に染みて実感しました。
福祉の仕事は、デザインの仕事と 共通項がある。
ーその後、就労分野のサビ管として就任されたのですね。
社会福祉士をNPOの在職中に取得しており、LITALICOと同様に就労移行支援をおこなっている会社でサービス管理責任者に初就任しました。毎日が自転車操業という感じで、とにかく目まぐるしく忙しかったです。運営基盤がまだ整っていない時期でもあったので、サビ管として個人支援計画の作成やインテーク(初回面談でのヒアリング)には正直ほとんど携われなくて。
退所手続きやスタッフの勤怠管理、別のセンターも含めた実地指導対応など、現在のLITALICOワークスであれば事業部人事や労務など、4部門くらいの関係部署と一緒に連携してやるような仕事を、全部自分がやっていたような感じです(笑)。
大変ではありましたが、マニュアルがない中常にゼロベースで物事を考えるのは楽しかったですし、難問があったほうがやりがいを感じるタイプなのかもしれません。
ー異業種へのキャリアチェンジでしたが、転職後はどのような心境でしたか?
デザインの仕事を辞めたことに未練が残る時期も正直あったのですが、振り返れば今の福祉業界の方がさらにクリエイティブで、元々やっていたデザインでの考え方も活かされているなと感じるんです。
利用者さんにとって必要な環境を整えたり、プログラムを設計したり、通所する事業所内だけではなく、関係する行政や施設、地域との繋がりを考えたり…
そういう意味では、大きくとらえると人の人生や地域・社会の「デザイン」をしている、という実感があり、非常に面白味を感じています。単純に制作物としてのデザインをしていた頃よりも、地域の人と社会と繋がっているという実感も常にありますね。
親戚のLITALICOワークス利用がきっかけで 転職を決意。
ーLITALICOへの転職はどういった経緯でしたか?
実は転職を決める前から、ずっとLITALICOは気になる存在ではありました(笑)。福祉業界に新たな風をもたらす革新的なことをやっている会社だなと。福祉事業所の実地指導を担当している東京都の職員の方からも、「あそこなら支援やスタッフの質は間違いない」と紹介してもらったこともありました。しかし、自分の年齢や過去の経験上発達・精神障害の方の支援経験が少なかったこともあり、自信が持てず応募しない時期が長かったです。
そんな時、たまたま親戚の一人がLITALICOワークスを利用することになりまして。初回面談では、相手の話を引き出すための技術がすごいなと感じました。支援スタッフの方とかかわる中で、本人と家族の気持ちを別々に聞いて下さったり、本人との面談内容をメールで共有して下さるなど本当に丁寧な対応をしているなと。一人ひとりのニーズに合った対応を「当たり前」のこととして、全員のスタッフがやっていたのがとても印象的でした。
また、その親戚のための通院同行や障害者手帳・年金などの手続き、金銭管理などの対応を一通り経験する機会があったんですね。これが僕の支援者としての自信にも繋がり、最終的にLITALICOのサビ管として応募することに繋がりました。
地域全体のネットワークづくりが とにかく楽しい。
ーLITALICOに入社してからのお仕事について詳しく教えてください
LITALICOには2016年1月に40歳で入社しました。その2か月後にはLITALICOワークス錦糸町センターを立ち上げ、2021年7月には現在所属している日暮里センターの立ち上げも経験し、サービス管理責任者を務めています。サビ管の通常業務としての個別支援計画や関係機関との関係構築、スタッフ育成にも携わる中で、イベント企画や地域ネットワーク会議への参加も積極的におこなっています。
ー特に力を入れていらっしゃる活動があれば教えてください
僕が今所属しているセンターは施設外活動の量が関東圏内の他のセンターと比較するとかなり多いようですね。僕自身も「LITALICOがあってよかった」と思われる存在を目指したいと考え、センターの外での繋がりも非常に大切にしています。保健師さんや区の関係者だけでなく、他の就労移行支援事業所と親しくさせていただき、利用者さんの合同面接練習をしたりすることもあります。
また、僕が個人的にやっている活動も紹介すると、2016年に仲間と発足した「ASM(ALL SUPPORT MEMBERS)」というコミュニティでは、他の施設関係者や、特別支援学校、企業、行政、医療関係者などさまざまな関係者が集まる機会を設けています。横のつながりの中で少しでも話を聞き合い、助け合ったりできる場所をつくりたいなと。他にも、定着支援でお世話になっている企業の方と「人事の本音トーク」という会をつくり、障害者雇用に関わる人事同士、企業と支援機関同士の交流の場を積極的につくっています。
新たなネットワークを作っていくのはとにかく楽しいですし、「地域連携」が僕自身のサビ管としてのアイデンティティとして大きな部分を占めているのかなと思います。
センター長との2名体制に、 いつも助けられています。
ー入社当時、これまでと異なる環境に戸惑いを感じることはありましたか?
最初のころは、多少ありました。理論に基づいた質の高い支援や、ケース会議、それをこなす優秀なスタッフに囲まれ、「自分にできることは何があるんだろう?」と落ち込んでいた時期もありました。
そんな時、当時のセンター長が「利用者さんが今日来てよかったと思えるセンターを作るのも、サビ管の仕事ですよ。そこは渡辺さん得意じゃないですか!」と言ってくれて。それまでは、「周りのスタッフに早く認められないと…」と身構えてしまい、LITALICOっぽいサビ管像を僕の中で勝手につくりあげていたのかもしれませんね。
こういった経験からも、育成観点からセンターのスタッフ自身が常に「自分らしさ」を大切にする職場でありたいと考え、スタッフが自分の長所と向き合い、自分がセンターに貢献できていると実感できる機会をサビ管として積極的に設けるようにしています。
ーサビ管として働くにあたって、LITALICOワークスの良さと感じられる部分はどこでしょうか?
やはり、各拠点のトップにあたる人物がサビ管とセンター長の2名体制であることは、大きな特徴だと思います。この2名体制は夫婦のような関係性に例えられることもあるくらいお互い支え合ってセンター運営をしているんです。
前職では数字も意識しながら支援の質も追及することが本当に大変だったので、センター長が拠点の運営・経営面の責任を一緒に担ってくれているためサビ管業務に集中しやすく、僕としては最も助けられているところかもしれません。事業部全体でも、集客力も高いためより支援の質にこだわって目の前の利用者さんに集中しやすい環境づくりが意識されていると感じます。
また、拠点が多いので、同じ「サビ管」という立場のスタッフがたくさんいるのも良さですね。普段からチャットを送り合ったりお互いに相談しあったりしていますし、年に数回は飲み会を開いたりしています。センター内のスタッフは僕よりも年齢が若いメンバーがほとんどですが、とにかく普段から仲が良くコミュニケーションが活発で、会議での共有がいらない場合もあるほどです(笑)。年功序列なく社員が活躍できる環境ですが、周囲との年齢差を問題に感じることはあまりないですね。むしろいつも若い世代の社員から刺激を受けています。
僕は入社前に、福祉業界のなかである意味制度がまだ整っていない混沌とした環境も経験しているので、いくつかあるLITALICOの行動指針の中でも「クリーンファイト」という言葉の大切さを強く感じます。高い倫理観や誠実さをベースに、クリーンに仕事に向き合う姿勢を重んじる言葉なのですが、LITALICOが福祉事業を主軸として前例のないことに対して長年チャレンジを続けてきた一方、法律上のルールをしっかりと遵守し、倫理観を高く持ち続けながら事業を進めてきた社風が、この行動指針に表れていると思います。
整った環境の中でも、 「考えること」をやめない支援者でいたい。
ー最後に、今後のチャレンジについても教えてください。
新しいことに挑戦するのが好きなので、センターの立ち上げなどに今後も関わりたい気持ちはあります。でも、就労移行支援の事業って障害の種別も、バックグラウンドも、特性も、皆さん全く異なるプロフィールをお持ちの方との新しい出会いの連続なんですよね。飽き性な面がある自分でも、全く退屈することもなく常に勉強の日々です。
福祉の仕事ってお芝居に似てるんですよね。その時に集まった利用者やスタッフで、どんな化学反応が起こり、新しい気づきや成長が生み出されるのか、いつもワクワクしています。
状況に応じて常に配役が変わっていったり、自分自身の立ち回りも代わっていくのがこの仕事の面白いところですね。