2025.12.09

イベントレポート:新卒5年目で事業責任者へ。LITALICOの「ビジョンにまっすぐ挑戦できる環境」が成長の鍵だった

ビジネス職

新卒

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本記事では、LITALICOが開催した学生向けトークイベントの内容をレポートとしてお届けします。(開催日:2025年7月24日) 今回登壇したのは、発達障害のあるお子さまやそのご家族をサポートするプラットフォーム「発達ナビ」の事業部長を務める神山(かみやま)です。 新卒入社から5年で事業部長に就任した自身の経験をもとに、「なぜLITALICOでは若手が成長し、事業責任者を目指せるのか」をテーマに語りました。 本レポートでは、神山の入社動機から、事業部長になるまでの軌跡、そして担当事業である「発達ナビ」の成長の舞台裏まで、当日のトーク内容を詳しくお伝えします。

登壇者紹介

【登壇者】 株式会社LITALICO 児童プラットフォーム事業部 発達ナビ 部長 神山
2017年に新卒でLITALICOへ入社。
お子さまの創造性を伸ばすIT・ものづくり教室 LITALICOワンダー(https://wonder.litalico.jp/、以下「ワンダー」)の支援員としてキャリアをスタート。
その後、プラットフォーム事業 LITALICO発達ナビ(https://h-navi.jp/、以下「発達ナビ」)へ異動し、営業、セールス、カスタマーサクセス、マーケティング、事業開発など幅広い職務を経験。現在は発達ナビ部の部長として、事業戦略から組織マネジメントまでを牽引している。

LITALICO入社の経緯

トークは、神山のキャリアの原点である幼少期・高校生の頃の体験から語られました。

「通信簿にはいつも『協調性がない』と書かれていました(笑)。全員が決められた方法で同じペースで学ぶ学校という場は、少し窮屈に感じることもありました」
そんな気持ちを抱きながら子ども時代を過ごした神山は、高校生の頃に不登校のお子さまへの学習支援を行います。その中で、ある悪循環を目の当たりにしました。
一人ひとりにとっての最適な学び方が提供されていないことで自己効力感が下がり、「何をやっても認められない」「周囲からの見られ方もネガティブ」という状況が生まれていたのです。

しかし、子どもたち一人ひとりに合った学び方を試行錯誤し提供したところ、点数が劇的に伸び、先生や周囲からの見られ方が変わりました。結果として、「学校に前向きになれる」という好循環につながったのです。
こうした原体験から、「画一的な仕組みではなく、一人ひとりの可能性が伸ばされる社会の仕組みを作りたい」という強い想いが芽生えました。



その後の就職活動では、その想いを形にするため、文部科学省などの公的機関への就職も視野に入れていたと言います。

しかし、最終的に神山はLITALICOへの入社を決意します。理由は「スピード感」でした。
社会の仕組みを変えるのに、30年や50年も待っていられないと感じていました。リスクを恐れずに、社会の課題解決のために積極的に投資し、挑戦と失敗を繰り返しながら前に進む。そんなLITALICOの姿勢が、自分には合っていると感じました」

入社2年目でエリアマネージャーへ。挑戦が加速し続けた6年間

LITALICOのカルチャーや思想は、神山自身のキャリアにも色濃く反映されています。トークのなかで、入社から部長になるまでの経歴が紹介されました。



2017年に新卒で入社後、「LITALICOワンダー」での支援員を経て、同年中に「発達ナビ」事業部のセールス職へ異動。入社2年目にはセールスエリアマネージャーとカスタマーサクセスを兼任。その後も営業企画、マーケティングと年々担当領域を広げ、入社4年目の2020年にはセールス、カスタマーサクセス、マーケティング、事業開発のマネージャーを兼務するに至りました。

商品を創る事業開発からそれを届ける販路開拓まで、事業の根幹を担う実務とマネジメントを幅広く経験したのち、入社5年目となる2021年に「発達ナビ」の部長に就任。事業責任者として、現在に至るまで「発達ナビ」の成長を牽引しています。

事業部長への就任。「発達ナビ」成長の舞台裏

2021年、いざ事業部長となった神山は、組織のリーダーとしてどういったことに取り組み、どんな困難を乗り越えてきたのでしょうか。神山が率いるSaaS事業「発達ナビ」が業界の4社に1社が使うほどのシェアを誇るサービスに成長した軌跡を語りました。

まず取り組んだのは、「何のためにこの事業をやるのか」というミッションを定めること。発達ナビのミッションは、すべての子どもが自分らしく生きられる社会の仕組みをつくることと定義し、社会資源のひとつである福祉施設の経営課題をサポートするSaaS事業へと舵を切りました。
自信はあったものの、その道のりは決して順風満帆ではありませんでした。

――0→1フェーズの苦悩と挑戦


当時、保護者が施設を探す主な情報源は、自治体の窓口で渡されるExcelファイルに施設名と住所、電話番号のリストだけという時代。子どもの特性に合う支援内容か、共働きでも通わせられる送迎があるか、など自分の子どもや家庭環境に合う施設を探す情報はありませんでした。

この情報格差を埋めようと、神山たちは施設の情報を掲載できる「発達ナビ」の営業に回りましたが、福祉を数十年取り組んでこられた事業者様からは「ネットで情報が増えることは、かえって親御さんを悩ませる」という言葉が返ってきたと言います。

「普通の会社なら、ニーズがない、とここで諦めていたかもしれません。しかし、LITALICOは利益のためではなく、ビジョンのために事業を行っています」
私たちのビジョンやサービスの価値を一方的に伝えるのではなく、視点を変え「このサービスがどう施設の経営課題解決に貢献できるか?」を徹底的に考え、提案し続けました。その結果、少しずつ賛同者があらわれ、事業は軌道に乗ります。



このフェーズで重要だったのは、LITALICOが施設経営で培った、利用者募集の難しさやそこから得た独自の知見をサービスの核として打ち出すという点でした。これは、LITALICOならではのオンリーワンの価値を徹底的に追求し、提案し続けた結果だと考えています。

――1→10フェーズの苦悩と挑戦


その急成長の裏側で、組織は大きな壁にぶつかります。組織が大きくなることで効率性への意識から分業が進んだり、北海道から沖縄まで全国に拠点が広がり物理的な距離がうまれるなかで、今までと同じコミュニケーションでは「何のために頑張っているのか」という共通の目的感をもつことが難しくなり、チームが崩壊しかけたのです。

この局面で大切だったのは、向かうべきゴールと、そこへ向かう地図をメンバーと本音で徹底的に議論しながら描いていくことだったといいます。神山は、改めてメンバーとゴールの認識合わせをし、適切な役割分担を行ったうえで、チーム一丸となってサービスの拡大期を推進しました。



0→1フェーズでの事業の壁と、1→10フェーズで訪れた組織の危機。そうしたいくつもの困難を乗り越えたからこそ、「発達ナビ」は現在、業界の4社に1社が使うほどのシェアを誇るサービスへと成長を遂げました。

それでもなお、神山は現状に満足しているわけではないと語ります。
これからは、10→100へ挑戦していくタイミング。
「私たちがやりたいのは、お子さまを取り巻く社会の側にある課題を“全部”解決することです。現在、福祉施設や学校へはアプローチできていますが、取り組むべき課題は山積しています。例えば、幼稚園や保育園など、まだアプローチできていない領域は多く残されています。また、お子さまが複数の社会資源を横断して利用しているにもかかわらず、施設間で支援情報が分断されているという構造的な問題もあります。私たちの挑戦は、まだ始まったばかりです」
ビジョンに照らし合わせれば、やるべきことは無限にある。
神山の視線は、常にその先を見据えています。



なぜLITALICOでは若手から事業責任者を目指せるのか

入社1年目からスピード感を持って挑戦を重ね、2年目でエリアマネージャー、5年で事業部長に就任し「発達ナビ」の事業成長を牽引してきた神山。
「神山のようなキャリアを歩むには何が必要なのか?」「なぜ新卒5年で事業部長になれたのか?」
そのような問いに対して、神山は個人の能力が理由ではないと語ります。

「私という個人が優れていたからではありません。LITALICOのビジョンである『障害のない社会をつくる』とはどういうことかを本気で考え抜き、その実現に必要な挑戦を後押ししてくれる会社という環境があったからです」



神山は、LITALICOが持つ「積極果敢なチャレンジができる文化」と、その挑戦の矛先が常にビジョンに向いている点を強調。この環境こそが、自身の成長を牽引した最大の要因であると説明しました。

LITALICOのビジョンを起点とした事業展開

会社の目指す「ビジョン」に徹底的に向き合うこと。そもそも、LITALICOという会社の歴史が、ビジョンを基点とした挑戦の連続だと神山は続けて語ります。
2005年に創業したLITALICOは、障害のある方の仕事探しを支援する
「LITALICOワークス(https://works.litalico.jp/)」から始まりました。その支援を通じて、「もっと早い段階からの支援があれば、活躍できる仕事の選択肢がさらに広がったはず」という課題認識から、障害があるお子さま向けのソーシャルスキルの獲得を支援する「LITALICOジュニア(https://junior.litalico.jp/が生まれます。



そして、ある顧客から「高校生になってから福祉施設という選択肢を知りました。もっと早くから通えていたら、この子のできることが増えていたかもしれない」という声が寄せられました。
この声から、「発達障害や福祉施設の認知の低さ」という課題認識が生まれたのです。
それが、「LITALICO発達ナビ」の誕生のきっかけ。子どもの発達に違和感を感じたときに正しい知識や合う福祉施設をすぐに探せるポータルサイトの必要性を感じ、サービスの立ち上げを決意しました。



このように、一つの事業から見えた課題を解決するために、次の事業を生み出していくのがLITALICOの事業展開の大きな特徴です。

質疑応答(Q&A)

イベントの後半では、参加した学生からの質疑応答が行われました。

Q. 異動の希望はご自身で出されたのですか?
(神山)はい、希望を出しました。直接支援の経験も非常に有益でしたが、自分のキャリアの軸である「社会の仕組みづくり」に、よりコミットしたいと伝えました。LITALICOには、挑戦したいと手を挙げれば、後押ししてくれる文化があります。

Q. 業務がマンネリ化してモチベーションが下がった時はどう乗り越えますか?
(神山)正直に言うと、あまりマンネリ化しません(笑)。LITALICOは変化が激しく、常に新しい挑戦の機会があるからです。ただ、モチベーション高く走り続けるためのリフレッシュはとても大事にしていて、仕事のことは忘れて週末に走って体を動かしたり、自然が好きで旅行したりBBQに行ったりして、仕事以外の好きなことに夢中になる時間をとるようにしています。

最後に:諦めない挑戦の先に、個人も、事業も成長がある

「自分という個人が優れていたからではない」
神山は、イベントを通してこのメッセージを繰り返し伝えました。
LITALICOという会社が掲げる壮大なビジョン。そのビジョンを自分ごととして捉え、本気で実現しようと考える社員。そして、その挑戦を全力で後押しするカルチャー。 この三つが掛け合わさった時、個人の成長と事業の成長がリンクし、大きな推進力が生まれます。



神山のストーリーは、まさにそれを体現したものでした。 LITALICOには、年次や経験に関わらず、社会の課題解決に本気で挑めるフィールドが広がっています。

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